【公開日】 2015年08月05日  【最終更新】 2017年06月04日

母親は本当に「ひきこもり」の奴隷なのか?

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 8 分27秒 〉です。】

Yahoo!個人ニュースを見ていた時にちょっと気になった記事がありました。

それは『おかあさん、「ひきこもりの奴隷」はやめましょう。』という若者の自立支援団体の代表が、高齢化していく、いわゆる「ひきこもり」の子どもたちの母親に対して書いた記事です。

どこに違和感を感じたのか、今回はそれを軸に引きこもり問題の本当の問題点を探っていこうと思います。

違和感について

この記事の中で筆者が言いたいのは「ひきこもりやニートになってしまう子どもは母親だけのせいではなく、社会の情勢そのもののせいである」ということなのでしょう。

もちろんそれもあると思いますが、ちょっと他者に責任転嫁をし過ぎなのではないでしょうか。

なぜ責任転嫁といえるのか

まず、子供の引きこもりの問題が母親だけのせいではないということに関しては「正しい」と思います。

しかし、子どもが抱えている闇をダイレクトに指摘しまった部分についての責任は、親が自分の世間体を守ろうとしたという点に責任があるのではないでしょうか。

その点に関しては母親にしても父親にしてもそれなりの反省が必要です。実際に記事の中でも「大きな問題ではあるが 」と前置きされています。

なぜ「指摘」が問題なのか?

「なぜ正しいことを指摘したことが問題になるのか?」と目くじらを立てる人もいると思いますので、この点について説明しておきたいと思います。

実はこの「ダイレクトに指摘する」という行為をやってしまったことにより、子ども自身の自己肯定感や自尊心という部分に大きな問題を生じさせてしまうことがあります。

例えば子どもを批判する親と子どもの背景にある社会情勢はまったく一緒でしょうか?

親の世代では成立したことが子どもの世代では成立しないということはないでしょうか?

こういった「違い」を無視して「子どもがダメだから・・・」という感覚で指摘してしまうからこそ、逆にその場所にしがみつくしかなくなってしまうのだと思います。

だからこそ「指摘」したことについての親の責任は問われなければならない、というわけです。

社会情勢のせいにしても解決しない

それに社会情勢のせいにしたとして、その社会情勢が好転しそうにない今、一体どうやって社会に適応できずに引きこもってしまった子どもたちやその親を助けることが出来るのでしょうか?

もう、昔のように若者が正社員としてバリバリ働ける世の中ではありません。実際に非正規雇用の割合は年々上昇しています。

その「正しい生き方」ができない責任を、「お前は甘い」の一言で社会の厳しさに適応できない引きこもりの子どもたちに押し付けてしまっていないでしょうか

もちろん親御さんの言い分もわかります。生きていくためには社会の中で糧を得る必要があり、そのため親としては自立して欲しい、世間に顔向け出来るようになってほしいと願うのでしょう。

しかし、そもそも「ひきこもり」はなぜ起こったのでしょうか?それは子供に対して真剣に向き合わなかった大人がいたからではないでしょうか。

結局「社会が悪い、親は悪くない」という言い分は「しょうがないよね、社会が悪い、子どもが悪い」と言って親の責任をなかったコトにしたいだけの単なる責任逃れの話でしかありません。

引きこもりのままがいいわけではない

勘違いしないでいただきたいのは、別にひきこもり状態にある子どもの言うことを聞いておけばいいと考えているわけではないということです。

当然、ひきこもっている子どももいつかは社会復帰への活路を見出してやらねばならないでしょう。

ですから後半部分にあるように何でもいうことを聞いてもらえるワガママな「プリンス・プリンセス」は作り出すべきではないという部分については同意します。

強制的な手段は「あり」か?

しかし、同時に勘違いしてはならないのは「やってしまったことは元には戻らない」、いわゆる「覆水盆に返らず」ということを親の側が理解しなければならないということです。

思春期や就活失敗時などのナイーブな時期につい言ってしまったこと、やってしまったことに対する信頼関係の崩壊は基本的に今すぐ取り返せるというものではありません。

ですから当時は理解できずにやってしまったと後悔するならば、いまからでも関係修復への努力、つまりは「対等な立場」に戻してやる努力をすべきです。

最近多い「第三者機関への協力要請」はさらに溝を広げることにしかならないので使いどころは慎重を期す必要があります。

信頼関係の修復という言葉への勘違い

もちろん信頼関係を取り戻すためにあえて子どものいうことを聞いてしまっている母親もいるでしょう。ですが「ワガママを聞く=関係修復」ではないはずです。

あくまでも親と子どもという関係ではなく、一人の人間として信頼関係を築く事が重要です。一方の言い分のみを聞くような信頼関係がこの社会のどこに存在するのでしょうか?

双方に利益が成り立つからこその信頼関係です。一方だけが甘い蜜を吸えるなどということを許すのはおかしいです。過去に親がそれをやったとしてもその責任は子どもを自立させてあげることによって果たされるべきでしょう。

自立のための方法は?

子どもを自立させるためには、まずは身近にあることで役割を与え、そのことについて自発的に行うようになったら褒めたり報酬を与えるなどして本人の自信を取り戻させることが大切です。

子供との信頼関係構築を過去に放棄した分だけ、新しく構築するには長い時間が必要になるでしょう。ここで焦ってもしょうがありません。過去の自分の責任であると諦めてゆっくりやっていくしかないでしょう。

本人に自信をもたせることで「自分の殻の中という狭い世界」から「社会という広い世界」へ飛び出していこうとする意思が生まれます。

後は社会の受け入れ体制しだい

ここまで自立させられたのであれば、後は社会という受け入れ側の問題だと言ってしまっていいと思います。

例えば、長い間日本社会にはびこっている、新卒至上主義などに見られる「やり直しが効かない社会制度」。これは子どもの自立の障害となりますし、正直、人材の無駄遣いです。

どうしても景気が良い時には採用数は増えますし、悪い時には減ってしまいます。こういった制度は能力的な話よりも「必要量の確保」に重点が置かれすぎています。

これは就職氷河期世代の有能さとバブル世代の無能さに見られる反比例的な関係にも見られます。

まあ、今回問題視すべきは景気による上下の話ではなく、新卒とか前歴を重視しすぎるという部分です。

別に30になろうが40になろうがやり直すこと、新しい挑戦をすることに年齢制限なんて設けるべきではありません。

「過去に何をやってきたか?」が「何が出来るか?」の指標になってしまうと、経験を積むことができなかった人間は何も挑戦してはならないことになってしまいます。

そういった部分についての社会の問題の大きさについては「社会のせいである」という意見にも同意できます。

まとめ

長々とまとまりのない文章を書きましたが、言いたいのは「ひきこもってしまった子どもに対する親の『過去』の責任は重大であるが、その責任は本人の『未来』を作ってやることによって果たされなければならない」ということです。

ですから母親が反省して子どものワガママを聞き続けているからといって物事は好転しませんし、その反省を社会の側が積極的に受け入れてくれるわけでもないでしょう。

結局はひきこもってしまった子ども自身が抱えている闇を、どうにかして取り去るしか方法はありません。

その問題解決のためには子ども自身に自尊心を取り戻させ、新たな信頼関係を構築していくしかない、ということです。

決して「奴隷である」と思ってはならないですし、「奴隷にならなければならない」というわけでもありませんが、自分にも責任があることは認識すべき、ということですね。



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