【公開日】 2016年03月05日  【最終更新】 2017年06月03日

自分に批判的な意見を人は避ける

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 4 分30秒 〉です。】

前のエントリーで子育て問題について言及したんですが、その後から一気にブログへのアクセス数が「ダウン」しました。

ちょっと興味深い現象だったので、批判的な意見についての考察をしていこうと思います。

あくまでも個人的な独断と偏見に基づくものなので、全てに当てはまるとは限りません。

人は自分に当てはまる批判を嫌う

先に宣言しておきますが、別に子育て批判のように社会全体に対象者が散在する場合には、ある特定の個人に対し、誹謗中傷をおこなっているわけではありません。

あくまでも社会全体におけるその行為の「問題点」を指摘しているだけです。

ですが、そういった批判記事に対して感情的に反応するということは「自分もそうである可能性がある」と少なからず認識したということなのではないでしょうか?

もし、自分に関係ないと思うのであれば多くの人はその批判をスルーしてしまいます。

もちろん、スルーすべきではない人=対象者が素通りしてしまうのはまずい気もしますが・・・。

「批判の本質」

批判内容が自分に当てはまる度合いが高ければ高いほど、人はそれを嫌う傾向にあるようです。

考えてもみてください。

自分が熱心にやっていることを「間違っている」と真正面から指摘されるわけです。それが面白いわけがありません。

せっかく自分で決めて、限りある時間を使ってやっているのに、自分が見たくないもの・聞きたくないことが入ってくるというのはやっぱり嫌ですからね。

ですが、その見たくない・聞きたくないという感覚が「思考停止」であって「成長しない原因」にもなりうるということに気付けるか、ということが重要なのではないかと思います。

批判されて「自分のことかも・・・」と少しでも考えることができれば、その批判されたことに対する「改善点」は見つかるはずです。

でも批判について「私は違う」と言ってしまえば、たしかにその時には安心ですが、後々「問題点」すら見えなくなる可能性は非常に高いです。

これが「批判の本質」である『人の振り見て我が振り直せ』ということです。

批判に反発する人々の例

例えば努力しない人に「努力してないのが悪い」と指摘してみます。

当然「自分だって努力している」という反論が飛んでくるというのは想像できますよね。

また、あくどい金儲けをしている人間に「商売とは・・・」と訓示すれば「金を儲けることの何が悪い」と全く的外れの答えが返ってきます。

こんな人達を一度はどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか?

個人的にはこういった方々にはなんの魅力も感じませんし、尊敬しようとも思えません。

「自分のしたいことだけできればいい」って実はすごく「わがまま」

この「自分のしたいことだけ」がワガママであるということを気づいてない人はけっこう多いんじゃないでしょうか?

みんなが自分のしたいことだけやるというのであれば、様々なところでトラブルのもとになるでしょう。なぜなら自分がすべての中心にあるので、他者の批判を受け入れることがないからです。

ですから、そのわがままに対して「少しは周りを考えろ」という周囲の批判は、迷惑をかけられている以上、当たり前に生じるものではないでしょうか。

別にその批判を聞きたくなければ聞かないという方法もあります。別にその行為に自分ですべての責任を取ってもらえるのであれば誰も何も言わないでしょう。

まとめ

結局、批判を受けたくないという場合、問題は「自分で責任を取れるのか?」ということですね。他者に迷惑をかけないのであればそれは自己責任で行えばいいだけなので。

ちなみに責任を一人で全て負うというのは正直難しいと思います。

要はこの「責任が取れるか」という問題が「周りの批判を生む」ということがわかっていない人が多いから、「批判=悪」の構図が成立するわけです。

「私は理解しているから」という自己中心型の他者への励ましは、下手をすればただ「現実逃避したい人間」の迷惑行為を助長する可能性だってあります。

誰だって自分勝手に他者に迷惑をかける人間を野放しにしたくはないでしょう。

そこのところを少しばかりご理解いただけると幸いです。



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