【公開日】 2016年03月11日 

別に「楽観論」が悪いわけではない

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 4 分5秒 〉です。】

まずは謝罪

ちょっと最近は「批判が正しいかどうか」ばかりを書いていた気がします。
おかげで内容が少しマンネリ化してしまっていたようなので「つまらなく」なっていたことをお詫びします。
主張を変えたわけではありませんが、「水掛け論」になってしまうので。

楽観論を否定するわけ

では、本題です。

まず、自分は基本的に、物事は悪い方へと向かうという「悲観論」の立場でモノを考えています。
なぜなら人間というのは「自分勝手」な生き物だと思っているからです。

自分の都合のいいように物を考え、悪くなれば「他人のせい」にする。
こういった人間を見てくると、どうしても「なんとかなる」とは思えなくなります。

逆に、そういった「自分勝手」な人間は「そんなことはどうでもいい」といった感じで、他人に迷惑をかけようが「楽観的」なわけです。
流石にそれが我慢できないので、自分が望んだ通りになるみたいな楽観的立場はあえて認めないことにしています。

ですから「楽観論」が嫌いというよりは「楽観論」で物事を「舐めている」人間が嫌いというのが本音ですね。

楽観論のメリット

もちろん、楽観論自体には相当なメリットがあると考えています。

楽観的に物事を考えれば「躊躇う」ことが少なくなるので「悩む」時間を最小限にできます。

また、行動を起こして失敗した際も「なんとかなる」でリカバーが可能なわけです。
もし、悲観論でこの立場になれば「どうしようもない」となってしまいますね。
ですから、鬱などの精神的な問題も、楽観的であることで危険性を極力排除できるわけです。

それに「他者へのやる気の伝播」という部分でも悲観論よりは明らかに楽観論のほうが効果は高いです。
暗い未来よりも明るい未来のほうが人を惹きつけるのは当たり前ですね。

悲観論を否定しているわけではない

じゃあ、悲観論者はダメなのか、という自己否定をすることになりそうですが、別に自己否定のために楽観論を持ち上げているわけではありません。
悲観論には悲観論なりの「良さ」があるからあえて楽観論の「メリット」を挙げたまでです。

悲観論のメリットは「リスクを事前に予見できる」ということがあります。
もしなにか「悪いこと」が起こった際にも「事前予測」が立つので対処が容易になります。

それに「他者への配慮」という部分でも悲観論は楽観論に勝ります。
「もしこれをしたら他人にどんな影響があるのか」、こういった観点は社会生活を送る上では相当重要です。
自分が起こしたことで他人に迷惑がかかる「かもしれない」と考えるのは「社会の中で生活する上では当たり前」でなければなりません。

自動車運転などでも「かもしれない」運転をしろ、とよく言われますよね?
もし「お酒を飲んで運転しても大丈夫」なんて意見があったらどう思いますか?

こういった点において悲観論は楽観論よりも優れているといえるわけです。

どっちがいいのか?

実際、ここまで読めば「どっちがいいのか?」なんて疑問は当然湧いてくると思います。
しかし、どっちがいいではなく、どっちもいいが正解なわけです。

「可能性」という観点から考えれば楽観論が優れていますし、「予防」という観点から見れば悲観論が優れています。
それをどっちがいいというのは言えないのが本音でしょう。

楽観よし悲観よし。悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。

松下幸之助

この言葉が言うとおり、楽観的に考えることによって道が開けることもあれば、悲観的に考えることによって道が開ける時もある、ってことになるでしょう。

ですから、人を判断するときには「楽観論者」や「悲観論者」といった括りではなく、「自分勝手」か「そうでない」かで判断すべきではないでしょうか?

私見になりますが、もちろん「楽観的な自己中心型の人物」は自分は大嫌いです。
出来る限り関わりたくはないと思っています。



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ほんと参った

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