【公開日】 2016年03月24日  【最終更新】 2016年04月11日

綺麗なものばかり見過ぎです

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批判はダメとかポジティブとか「人間」を理解してますか?

毎回毎回「有意義な時間を」とか「生産性が」とか言ってそういったマイナスの部分を見ようとしない人が多いですが、そもそも人間はマイナス面のほうがブラスの面に比べて遥かに強いんです。

「人を批判することが生産性に繋がるわけではない」とドヤ顔でいっている人を見かけますが「批判」には「自分の立ち位置を確認する」という効果も含まれています。
自分の立ち位置すら把握できていない人に何が出来るんでしょうか?

確かに自分だけの目線で見れば「他者批判」なんていうのはほとんど無意味な行為です。
ただしそれは自分と相反する存在が全くいない場合に限られます。
自分がやりたいことをやっているときに妨害が入ったらあなたは「批判」しないで済ませられますか?

周りを見ていなければそれも可能なんでしょうが、社会は同レベルの人間で溢れかえっています。
その中で「少しでもいい立場」を求めて相手を批判するという行為は無くそうにもなくならないんですよ。

だって「競争」が前提となっている社会ですもん。
少しでも自分より上の存在がいたら引きずり下ろしたくなりますよね?
結局は平等だろうが弱肉強食だろうがどうせ「出る杭は打たれる」ってのが必定のようです。

そもそもそういった綺麗事を言っている人たちは「性善説」で物事を見ているんじゃないでしょうか。
人は生まれながらにして善良である、なんてバカらしい響きなんでしょう。

人は生まれながらにして「自分」という存在を最大化しようとします
その過程で他者が存在すればそれを排除しようとするのが「本質」なんですよ。
兄弟がいる方なら少しは理解できるんじゃないでしょうか。

それを抑えなければならないから「教育」だの「道徳」だのが必要になるわけです。
生まれたての子どもが「善悪」の判断なんて出来ていないことくらいわかるでしょう。

しかし、現在の社会の構造では「他者よりもいかに上に立てるか」で物事が判断されます。
結局は淘汰された側からは「怨嗟の声」が沸き起こるんです。

淘汰された側を見捨てているわけですから、そもそも「批判」を押さえ込めるわけがないんですよ。
でも「みんな一緒」は嫌なわけで、どうすれば無くせるんでしょうかね?マイナス面を。

批判論は辞めるつもりでしたが、あまりにも頭のなかが「お花畑」のヒトが多いのでちょっと釘を差しておくことにします。
いつも「前向き」な人が本当に存在するのかどうか、もう一度考えなおしてみてはいかがでしょうか?

「前向きでありたい」は悪くはないですが、そのために他者を自分の都合のいいように「偶像化」していることに少しは気づくべきですね。



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ほんと参った

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