【公開日】 2016年12月04日 

個々の人間に合わせた教育が能力を押し下げる!?

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 5 分26秒 〉です。】

このフィンランド大使館のツイートを見て「スゴイなあ」と思っていたら、その下の方にある返信にこんなものが・・・。


そのリンク先のページ(世界的な「フィンランド教育ブーム」に警鐘を鳴らしていたフィンランド数学者たち:JUKU)を見てみると


このようなツイートや

日本に限らず世界中の教育関係者が、フィンランド教育やPISA型学力を礼賛しているが、少なくとも、日本の社会や保護者は、分数の計算ができる中学生が2割以下にとどまってしまうような教育を求めていないだろう。

という文章で締められており、「えっ?北欧って教育も高水準なんじゃないの?」とちょっとビックリでした。

まず「PISA型学力って何?」って人も多そうなのでちょっと他のサイト(PISA型学力についてのノート:有限会社イント)から引用させていただきました。

それによれば・・・。

PISA調査は、学校のカリキュラムをどの程度習得しているかを評価するものではなく、「知識や経験をもとに、自らの将来の生活に関する課題を積極的に考え、知識や技能を活用する能力があるか」をみるもので、「学校の教科で扱われる知識の習得を超えた部分まで評価しようとする」ものである。つまり、各国のカリキュラムに依存せずに、それを超えて出題される。

ということなので、つまりは単なる詰め込みではなく、その応用する能力まで見よう、というもののようですね。

たぶん、この記事はフィンランド教育に対しての批判というよりは「個々の人間に合わせた教育は現在のような形での学力検査で測るとすれば、必ずしも一定以上の望みうる結果をもたらすわけではない」ということを指摘したいのだと思いますが、いちいち突っ込むのも意地が悪いと思うので一つだけ言えることを。

それは「個人の能力に合わせた教育は教育結果の平等を約束しない」ということです。

そもそも、それは当たり前のことなんです。

もともと持っている長所を伸ばすための教育を前提とする以上、苦手なところ(短所)に対する教育が不十分になるのは当たり前で、子供が嫌がらないよう伸ばすところを伸ばす教育をするなら、総合力については多少足りない部分が出てくるのもしょうがない、というわけですね。

別にいいんじゃないでしょうか?

もし、数学の成績が低いことにより生活に悪影響が出ているのであれば、それはあとからでも学び直せますし、それはまた本人の意思によるものであればいいわけです。

「数学ができなければ人間じゃない」というわけでもありませんし、それ以外の部分で何かを生み出せるのであれば私自身は必要な人材だと思います。

どうせ学ぶ必要があるのであれば楽しく学ばせる、このクセをつけて次にステップアップさせるほうが確実に勉強嫌いも減るでしょう。

大学での高等教育についていけない学生なんてのはどこの国にもいるでしょう。日本だってFランクと言われる大学では英単語から教えるところだってあるわけですし。

応用するためには最終的には「自分で足りない部分を理解し補う」必要があるので、これ自体が問題になるとは思えないんですけどね。

そもそもフィンランド大使館のツイートに噛み付いていた方は「日本の教育は素晴らしい」と言いたいのかもしれませんが、ちゃんと先程のページを読めば「日本の教育は素晴らしい」なんて一言も書いてありません。

ただ、影の教育たる「塾」などが日本の質の低下を阻止していると言っているだけですよ?

結局、どこの国も学校教育については上手くいっていない中での足の引っ張り合いってところでしょうか。

完璧な人間なんていないし、そもそも作れないということを理解した方がいいと思いますね。

日本型教育だって、別に全ての人間が分数の計算ができるようになるわけではないですから・・・。



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ほんと参った

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