【公開日】 2017年02月09日  【最終更新】 2017年08月30日

すべての子どもに平等な教育を与える必要、ありますか?

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 3 分38秒 〉です。】

(画像はイメージです)

教育困難校の話

最近よく「教育困難校」の話を聞くようになりました。

教育困難校とは「学校で授業を受けるに値しない態度を取り続ける児童生徒が多く通う学校」といった感じの学校で、もう授業そのものが成り立たないようなところです。

下の記事がその危険度を物語っているので是非ご覧ください。

「毎日、授業にもならなくて、ババアとか死ねとか言われまくって」 現役教員が匿名ブログで「教育困難校に勤務してるけど、もう無理」と吐露(BLOGOS)

問題は増えているということ

一応昔からそういった学校はごく一部で存在するのですが、最近はそれが増加傾向にあるようです。

家庭環境や所得格差、しつけの程度によって、これからはより「教育困難校」と「教育困難者」は増えることになると思われます。

対応策は隔離すること

そこで思ったのですが、もう勉強をしたくない子どもについては授業等に参加させなくてもいいんじゃないでしょうか?

現状では親に対する「教育を受けさせる義務」があるため、義務教育はなかなか難しいとは思いますが、もう勉強したい人間とそうでない人間を区別する必要があるのかもしれません。

勉強をしたい子どもは積極的に育成し、そうでない子どもは放置するべきです。

 

「それではまずい」というのは重々承知していますが、当の教育の機会を与えられているはずの子どもたちが自分たちの伸びる機会をつぶし、かつ、それ以外の無害な人間の可能性までもを潰してしまっている状態です。

そういった躾に失敗した「猛獣」を学校という檻にぶち込んでずっと放置しておくこと自体がこれからの社会を担うべき次世代を育成する際の障害となりえます。

それでは困るのでやはり隔離すべきです。

不満がある方へ

それが嫌ならちゃんと家庭で最低限のしつけはすべきではないでしょうか。

自分の行動の責任すら取れない人間にこれ以上増えてもらっては世の中が成立しません。結果として格差が進行しようが「しょうがない」と割り切るしかなくなります。

せっかくのチャンスを潰すような輩を檻に入れて放置し続ける理由がさっぱりわかりません。よっぽど発展途上国の意欲のある子供たちを日本で教育したほうが価値があります。

この点をどうお考えなのか、ちょっと興味はあります。

まとめ

結局、日本では教育の機会が当たり前のように与えられているためか、その機会の平等の価値すらわからない人が多いのでしょう。子どもが学校に行って当たり前なんて価値観は、ここ100年くらいでやっと成立したものでしかありません。

実際、明治時代に学制を導入した際、働き手が取られるなどの理由で相当な反発があったと聞いています。

「勉強なんかしたくない!」という子どもはしばらく放置しておいて、取り返しがつかなくなって後悔してからのほうが勉強に対して身が入るんじゃないでしょうか。

その時には実際には手遅れかもしれませんが、本人の意思なのであれば仕方がありません。

ちょっと厳しいのかもしれませんが、その「当たり前」を保証した結果が結局は「モンスター」といわれる人種を生み出す土壌を形成しているのだと思います。

結局、やる気のある人間はやる気のある者同士で、そうでない場合はそうでない者同士で「区別」したほうがいいというのが今回提案しておきたかったことです。



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ほんと参った

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