【公開日】 2016年02月25日 

「実績」という「形」に憧れると人生詰みます

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外側の「形」にそこまで価値はありません

最近だと五代友厚とかの人気がスゴいですが、そういうときにマスコミなんかだと「こんなに凄いことやった人です」とか「イケメンでした」とか外側の「形」にばかり注目しますよね?

確かに「形」の部分は誰が見てもわかりやすいので評価されやすいんですが、本当に見るべきはその人の内側にある「心」とか「信念」とかいう部分なのではないでしょうか。

いかに形に憧れようとも、その人の「心」を理解できなければ、単なる商売上手(というか守銭奴)にしか見えなくなります。
もし、この五代友厚という人の「行動」を参考にしている意識高い系の人がいるのであれば、模倣するだけ無駄、なので止めておいたほうがいいと思います。

経験から学ぶのは確かに効率が悪いが…

そもそも、過去に何かを成し遂げた人たちは、その経験上から色々なことを学び取り、それを自分の中で行動の指針としているわけで、「経験から学んでいる」ということです。

確かに

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
オットー・フォン・ビスマルク

という言葉はあります。

しかし「何も苦労をしていない人間」が、そういった人々の「表面的な部分や結果」だけを知って、真似したところででなんになるのでしょう?

我々が本当に知る必要がある「歴史」は「なぜそれが出来たのか」という「裏側」の部分だと思います。
その答えをを知って、そこから「自分にとっての必要な道筋」を探すことこそ、重要なのではないでしょうか。

「他者の真似」ではなく「自分なり」に行動する

自分が考えぬいて辿り着いた答えに必要だから行動できるのであって、最初からあまりに具体的な先人の結果にばかり目を向けると、自分にとって何が必要なのかということさえわからなくなります。

時代が違えば方法も違います。

ですから何でも形から入っていけばいいという意見には賛同できません。

いくら偉人の言葉を模倣しようとも、それは似合ってもいない高級な衣装に身を包んでいる家畜と何も変わりません。
せいぜい見世物にされるのがオチでしょう。

どこかで「心が変われば」なんとやらというのを耳にしたことがある気もしますが、言いたいことはそれに近いです。

自分の行動は自分で決める。なら、その行動を決定するための意思決定も自分ですべきはずです。
そこを模倣して他人任せにするというなら、嫌々働いているのと何が変わるというのでしょうか。

要は単に「困っている人を助けたい」とか「街に活気を取り戻したい」とかでもいいんです。
東日本大震災のあと被災者を助けるために動いた人がいましたが、あの人達も「有名になりたい」とか「人から尊敬されたい」とかいった「浮ついた動機」では動いていませんよね?

もし、自分の目的達成のための行動の途中に「たまたま」過去の成功者がやっていた部分と被るというのならば、それは単なる模倣とは違うでしょう。

問題視しているのは「すべてをコピーすればその人みたいに偉くなれる」という思い込みです。
こういうのは意識高い系に多いので困ったものです。



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