【公開日】 2016年02月27日 

稼ぐ自由とそれを批判する自由

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人の考え方は千差万別

なんかほんとに一辺倒な人間が多いですね、SNSっていうのは。

極論ですが、そもそも法律に違反せず、かつ、人に迷惑をかけない稼ぎ方であれば別にいいんですが、これを破る人間がいたとしてそれを批判するのはダメなんでしょうかね?
まあ、この批判をした人はさすがにこう思っているわけではないでしょうから、ここはスルーして下さい。

ただ、批判している人にはその人なりの考え方があるわけで、「こうあるべき」という形がその人の中にあるのであれば、それを批判してもまた正義だといえるわけです。

特に、新しいことをしている人が正しいのか、それとも旧来のやり方が正しいのか、というのは後になってしかわからないわけですし、その際に自分の信念で「あのやり方は気に食わない」と言って批判しても特に問題はないように思います。

むしろそれを封じてしまって自分の都合のいい意見しか聞こうとしない人のほうが怖いです。
「自分はこの人を応援しているんだからこの人の批判をするな!」と言いたい気持ちはわかりますが、その方法の中に相容れないものがあるならば、相手にとってはそれは自分たちへの批判にほかならないわけです。

例えば「都会がいいか、地方がいいか」なんていう議論があったりしますが、「都会はカネがかかる」とか「地方は仕事が無い」とかいっぱい批判しまくっているじゃないですか。

これって都会に住んでいる人も地方に住んでいる人も批判しているわけですがそれぞれどう思いますかね?
ただ侮辱されただけ、なんて思う人は少ないと思いますが。

批判とどう向き合うか?

まあ、その批判を聞いてどう思うか、は個人の勝手ですが、相手の発言の中には参考になる物も数多くあります。
それを「文句言うな」と言って黙らせようとかどこの老害なんでしょうか?

本当に先を考えるのなら批判は自分の成長の大きな糧になります。
むしろ、どちらかというとイエスマンばかりで固めたほうが後になってより弱さが露呈するでしょう。

批判されるウチが注目度もあるわけですから「華」なんです。
その間に批判される部分をどう埋めていけるか、それが問われているわけですから。

批判する自由

だから、例えば法律違反でない「風俗」とか「情報商材」とかは稼げるかもしれませんが、当然それに対する批判も存在しますし、別にそれでいいじゃないですか。

それが「自由」なんですよ。
もちろん行き過ぎて実力行使なんていうのはいただけませんが。

こういう「やっていることを批判するな」論を展開する人たちは、その新しいことをやることによって犠牲になるかもしれない人たちの存在を考えてるんですかね?
こういう人たちが批判をするのは当たり前だと思いませんか?

むしろ中途半端なその人たちこそ外野なわけで、その議論は眺めておくのが一番いいんじゃないでしょうか?
もちろんどっちかの側について議論に参加するという手もありますが。

批判が嫌なら行動するな

それに行動すれば必ずと言っていいほど批判はついてきます。
どうしても批判が嫌なら行動しなければいいんじゃないでしょうか。

他人に批判されたくないなら、何もやらず何も言わなければいい。しかし、それは生きていないのと同じではないか。

エルバート・ハバード

まあ、この言葉どおりですね。

批判されるということは行動しているんですから、それにいちいち目くじら立てるようなら行動しなければいいし、そもそも何も考えなきゃいいんです。

『見ざる聞かざる言わざる』ならば誰も相手にしませんから。

すべての人間が自分の意見に賛同してくれる世界だなんてむしろ矮小で滑稽だと思いません?
自分はそう思いますけど。



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ほんと参った

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