【公開日】 2016年03月05日  【最終更新】 2017年06月03日

資本主義の「稼げば正義」が嫌いです

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 6 分13秒 〉です。】

最初に宣言しておきますが、資本主義社会ですから「生きるためにはお金が必要」ということは別に否定するつもりはないです。

個人的に批判したいのは次のような「悪人」についてです。ネット界隈ではよく見かけるようになったので。

「俺ぐらい稼げ!」への違和感

世間には「俺ぐらい稼いでみろよ」と言う人がときどき存在します。個人的にはその「価値観」についてどうしても共感できないんですよね。

なぜなら、基本的には自分が「お金を手に入れるという行為」は他者から「お金を奪う行為」である、という意識が根本から抜け落ちている感じがするからです。

そのお金を奪う相手が自分より豊かで他者にお金を払っても余裕のある人ならいいと思います。

ですが、そういった「稼げば正義」の人たちの間では自分より貧しい人から積極的にお金を取るようなビジネスがまかり通っているように感じます。

なんだか違和感だらけです。

「共存」か「淘汰」か?

資本主義の社会だと、どうしても「稼いだもん勝ち」という価値観で物事を捉えることになります。

ですが、この「稼いだもん勝ち」の価値観は、結局のところ「弱肉強食」と何ら変わらないように感じます。

そもそも集団で共同生活することによって得られる「負担の分散」や「公平な分配」というメリットのために「社会」という集団を形成したはずの人類が、結局は「弱肉強食」という野生の論理でものごとを片付けることを前提としているとは・・・なんだか皮肉なものだなと感じます。

「自分が出来ないことを他者に手助けしてもらい、その対価として「モノ」や「サービス」をお返しする、というのが本来の社会のあり方ではなかったか?」と感じますが、この社会ではそれは「弱者の論理」のようです。

資本主義は「成功」した

もちろんお金を前提とした資本主義はデメリットばかりではありません。

生活をここまで豊かにできたのも「人間の欲」を上手く引き出した成果であると考えるべきだと思います。

しかし、「全ての人間がその恩恵を受けられているか?」と訊かれるならば、おそらくその答えは「ノー」でしょう。

こう考えると資本主義は成功したのは事実ですが、本当の「成功」と言えるのか、ちょっと複雑です。

商売の基本理念は「押し付けること」ではないはず・・・

そもそも商売の基本は「人が必要とするものを提供する」ことであるはずです。

ですが今はどうでしょう?

本来、必要としないモノやサービスを無理に押し付けて金銭を得ているビジネスがあるのではないでしょうか?

例えば、商売の神様として知られる松下幸之助も

無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。

という言葉を残しています。

あくまでも客の立場に立った商売を心がけよという言葉ですが、「稼げば正義」の人々はこれを意識しているのでしょうか?

個人で独立してスモールビジネスを展開していくのが昔に比べると楽になったせいか、最近は「自由に生きる」をお題目に「ビジネスという金儲けの方法を作り出す」というのが流行っているように感じます。

人が生きていくためには「消費」しなければならない

もちろん、人が生きていくためには、ものを作ったり、廃棄されたものを処理したり、という絶対に必要となる仕事はあります。

特に「衣・食・住」に関わることは「無くせばいい」という簡単なものでもないでしょう。

ですが大量消費に見られるような「本来必要としないものを売りつける」ことに関しては実は多くを削れるというのが実際のところではないでしょうか。

人の「欲」

確かに人間である以上、「欲」は必ずあるので、ただ必要なものを消費するだけでは満足しないことは明らかです。「あったらいいな」は原動力にもなり得るので否定ばかりもできません。

そのため「金を稼ぐこと」だけを批判するわけにはいかないのですが、あまりにも「稼ぐ」という目的に傾きすぎているのではないか、ということが問題なのだと思います。

もちろん、人間である以上、自分自身もまた「悠々自適の生活」といった類のものに憧れはします。結局は人間なんてそんなもの、なのかもしれません。

でも、流石に「まともに食事さえ摂れないような貧しい人」からお金を取れるか?といったら、おそらくは無理だと思います。

これはさすがに「欲の暴走」と定義して制限すべきでしょう。

お金はあくまでも「ツール」

たぶんこれが本題でしょう。

お金というものはあくまでも人間関係を円滑にするための「ツール」であると捉えるべきではないでしょうか。

物々交換よりも手軽に持ち運べ、金額という数値で明確に値を表示できるという、効率的に「等価交換」できるツールとしてのお金はすごく魅力的です。

ですから、「便利なツールを大量に持っているから偉いのか?」という感覚で捉えれば、「稼げば正義」という価値観はちょっとおかしいということに気づくんじゃないでしょうか。

世間に出回っているモノにも価値はありますが、大量に持っているから偉いということにはなりませんよね?

そしてお金というツールは無理に手に入れるものではなく、人の役に立った結果手に入るものでなければならないはずです。

ニュアンス的にも「お金を稼ぐ」「お金を戴く」ではちょっと違いますよね?

まとめ

もちろん生きていくため、自分の夢を実現するためにも最低限の収入は必ず必要です。

でも、それがかえって「お金を稼ぐ」という方向に意識をシフトさせているのでは?と感じます。

「楽して稼ぐ」などというものはしょせん幻想でしか無く、それをさも当たり前のように喧伝する行為は害悪でしかない、こう考えるのが筋だと思います。

でもこう考えるとベーシック・インカムが問題解決の手段としてすごく魅力的に思えてくるから不思議です。



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