【公開日】 2016年10月14日 

格差がなぜ悪いのか?そんなの個人の能力に見合ってないからでしょ?

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 2 分33秒 〉です。】

格差があるのは普通である、っていう意見そのものは別に珍しくもないんですが、格差が「今」作られたものでないからこそ批判が多いんじゃないんですかね・・・。

「格差」があって、なぜ悪いのか?

“世界の哲学者はいま何を考えているのか――21世紀において進行するIT革命、バイオテクノロジーの進展、宗教への回帰などに現代の哲学者がいかに応答しているのかを解説する哲学者・岡本裕一朗氏による新連載です。”

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参照元:ダイヤモンド・オンライン

そもそも生物というのは格差の上に成り立っている、こんなことは哲学者や経済学者じゃなくても多くの人が理解していることです。

昨今の格差是正、平等ブームの背景には「機会の平等」が根本的に与えられていないことに起因するんじゃないですかね?

何をするにもカネがかかる、というのはどこの資本主義国でも同じことですが、要は「頑張る機会すらまともに与えられない人間」が存在しすぎていること、これが問題なんでしょう。

どこぞのボンボンは何をやっても生活が保証されるというのに、底辺層は真面目だけでは上に這い上がれない、この構造が結果として全ての平等を求める形へと変化しているのでしょう。

ちなみにこの問題は「必要十分なお金が個人に与えられれば解決できる」という類のものではないことにも注意が必要です。

それだけだと「受け継がれる格差」の問題に対して何もしていないことになりますから「なんであいつが・・・」という批判は残ることになります。

近年の「能力主義」にしたって「自分の能力や努力を評価してくれ」という類のものであるからこそ、世襲や相続に対してより厳しい対応を求めるわけです。

「全ては自分の能力と努力のみで評価されるべき」という主張ですから、「満足だからそれでいい」という人間はむしろ少数でしょう。

人には欲がありますから結局は最後まで認められることに執着するでしょうし。

そういうわけなので社会主義や共産主義が生まれた頃と同じ社会的背景を持っている現状では「足りるからいいでしょ?」は通じないでしょうね。

というわけで自分としてはピケティを信じることにします。

どちらにしろ人の欲を何処かで抑えない限り、問題は解決しないでしょう。

それが「富裕層」の欲なのか「貧困層」の欲なのか、どちらがよりまともになると思います?



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