【公開日】 2017年04月08日  【最終更新】 2017年05月31日

教育改革や働き方改革が必要なのはちきりんさんの主張を見ればわかりやすい

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 7 分4秒 〉です。】

昨今いろいろと話題になっている教育改革や働き方改革ですが、この点についてちょっと勘違いしている方も多いようなので、わかりやすく説明されているちきりんさんの主張をもとに説明していきたいと思います。

長時間労働=高生産性ではない


長時間労働が高い生産性を誇っていたのは「生産」という行動に対し「人が主体となっていたから」であって、現在のように機械化が進んで効率化された社会では、実は人が長時間働いても必ずしも生産性が上がるというわけではありません。

これがもし「一字一句人間が手作業で書かなければならない」とか「すべて手作業で行わなければならない」という家内制手工業的な考え方であったならそれも正しいんですが、この場合は一つ一つの生産にそこまでの時間的制約がかかりにくいので今よりもルーズになります。(結果として生産性は落ちます。)

また「生産量が足りないから徹夜して・・・」という考え方もありますが、人間は本来休息を必要とする生き物なので徹夜や長時間労働を行う場合には結局、作業効率が低下し、ミスも多くなって非効率となります。

よって長時間労働は生産性が低いといえるわけです。

この理屈から言えることは「無理して長時間労働を続ければ作業効率も落ちるし、ミスも連発してやり直さなければならなくなる。それよりは短時間でその作業を終わる方法を考えたほうが効率的」ということですね。

「頑張っている」ことが重要なのではなく「結果を出すために努力すること」が重要

よく「見た目だけで頑張っているかどうか」を判断する人がいますが、そのせいで本当に頑張っている多くの人が報われないという現状を作り出してしまっているようです。

先ほど述べたように「結果を出すための努力」は必要ですが「ただ頑張っている感じに見せかける」ことは正直全く意味がありません

昔から学校などでも見かけましたよね、授業はきっちり受けているのに成績が悪い人。

この人は「やっている感じ」を演出するのが得意なだけで「物事を解決する」のが得意なわけではないということです。

こういう「建前」だけを大事にする人はとにかく仕事ができません。

重要なのは「仕事をしていないように見えてきっちりこなすこと」です。

授業は適当に受けているのに成績のいい人、この人のやり方を学ぶことこそ重要で、これが「効率化」ということになります。

バカみたいに他人の顔色をうかがって「やってますよー」ポーズは正直捨てましょう。

学校教育がダメな理由

この点についてはこちらの記事が参考になります。

学校教育がダメな理由と、「学校には価値がある」という主張が無意味なわけ 『自分の時間を取り戻そう』第1章より(ダイヤモンドオンライン)

この記事(著書)の中でちきりんさんは

「学校は学びの場としてあまりに生産性が低い」

と指摘されていますが、学校がダメな理由は結局「生産性が低い」ことだといっています。

学校教育を受けることで確かに学ばない時よりは少しはマシになりますが、学びたい人にとってはすごく「生産性が低い」というわけです。

最大の理由として

 最大の理由は、個々人の理解レベルにまったく合わないペースで教えられているからでしょう。

と書かれていますが、まさにその通りで「わかる子もわからない子もすべて同じ先生が同じスピードで教える」ということの弊害です。

これでは伸びしろのある「頭のいい子」は学校を「つまらない場所」として学ぶことへの熱心さを失ってしまいますし、逆に「要領の悪い子」は考える暇を与えられずついていけなくなります。

それでも学校は(教育の義務および権利によって)「行くべき場所」として認識されているため、その子たちは無為な時間をただひたすら学校という牢獄で浪費することになります。

この状態では学校に「通うことそのもの」が無意味です。

ある人が「生産性という観点から意味があるかどうか」を語っているのに対し、それに反論する人は「価値がゼロより上かどうか」だけに注目している

とあるように、教育の現場においても生産性は重要です。

時間もお金も有限ですし、その使い方次第では良くも悪くもなります

「みんなが同じようにやること」はもはや期待されていません。

重要なのは「その人が学べることを最大限学ばせてやること」です。

このように価値の絶対量で善し悪しを語る人と、生産性の高低でその是非を判断する人が混在しているため、両者の意見はまったく噛み合わないのです。

とまとめられているように「ゼロより多ければいい」という議論は現代ではナンセンスであるといって過言ではありません。

現代に求められているのは「無駄をいかに省いて必要を満たすか?」ということです。

いつまでも「平等」なだけではものごとは進みません。

少しでも学びたい人間、やりたい人間を率先して行動させる、いわゆるアクティブラーニングの手法を導入することが必要なのです。

結果として人よりある部分において「劣った」としても、それは「学びたいことを学ばなかった」自分の責任になります。

そもそも様々な方向性に選択肢が広がれば、ある一定の分野で劣っていたとしても他の分野で挽回が可能です。

学びなおす際にも「自分のペース」で学びなおせるので効率的です。

その為にも今の学校教育の前提である「(時間も中身も)みんな一緒」という概念は捨て去らねばならない、というわけです。

まとめ

結局のところ、効率性を重視しなければ人のやる気も削がれます。

やる気を失った人間が夢や理想を語ることはないでしょう。

そういった「無気力な人間」を量産してしまえば、日本の将来はさらに悲観的になる可能性だってありえます。

明るい未来を作るためにも教育改革や働き方改革でより「生産性」を高め、「選択肢」を広げていく必要があるのです。

ついでにちきりんさんの記事で生産性に関わるものをたまたま拝見したのでよければどうぞ。

社会の生産性を上げるため廃止すべき 10の制度(Chikirinの日記)



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