【公開日】 2017年09月04日 

独身税は構想だけでも怒って当たり前

【この記事を読むのに必要な時間は約〈 4 分23秒 〉です。】

『独身税は実現が難しいから怒らなくていい。』という論点を履き違えた意見をお見受けしたので、なぜ独身税議論に独身者が怒るのか、ちょっと考えてみようと思います。

ちなみに私はちゃんと元記事読みましたのであしからず。

結婚・出産は強制されたものなのか

例えば前時代的な価値観で「結婚するのは当たり前、子どもを産むのは嫁の義務」というものがありますが、この価値観通り、女性は結婚後、必ず妊娠・出産を行わなければならないということが強制されていたのであれば、この場合『被害者』となります。

 

ですが、現代社会では結婚や出産はあくまでも個人の意志に基づくものであって、他者から強制されるものではありません。

そのため、子育て中のパパ・ママはあくまでも権利を行使しただけの存在でしかありません。

権利には責任が伴う、これもまた現代社会の原則です。

独身者は「サボっている」のか

何十年も前であれば「結婚は義務」といった風潮があったのでこういう認識がまかり通っていたかもしれませんが、現行の法律ではどこにも「婚姻および出産の義務」というものはありません。

あくまでも憲法の24条で『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。』と謳われているに過ぎず、具体的な権利義務関係については民法の第4編第2章(730条以下)に規定されているだけです。

このどこを見ても「独身者のみを不都合に取り扱っていい」という記述は存在しません。つまり「独身者に罰則的に税金を課す」という行為自体が問題視されるというのは特におかしなことではない、というわけです。

 

つまり一生独身でいても得られるものを得なかった(権利を放棄した)というだけになります。

守るべきものは何か

子育てが大変なことはいろいろと話を見聞きしていればわかることではありますが、それを理由として「子育て中の夫婦に対する特権を認める」というのは法律で規定されている権利関係を無視した暴論に過ぎません。

例えば結婚後の夫婦であれば配偶者控除などの税制上の特権もありますし、孤独ではないという心理的優越感もあります。子どもを持てば「親としての立場」を手に入れることもできるでしょう。

ですが、それらはあくまでも結婚や出産といった「権利」を行使した結果であって、それに付随する肉体的・精神的・経済的負担は自己の責任において負う必要があります。

 

ただし、子ども自身はこの権利を行使したわけではありません。そのため、産まれながらにして持っている基本的人権を守ってやる必要があります。

だからこそ、子育て支援、教育の充実など子どもの成長発展のための仕組みは存在するわけです。

つまり、子育て支援とは「子供の将来を守る」ためにある

ここまで読んでいただければわかると思いますが、子育て支援とは本来「子どもの健全な成長・学習を促すもの」であって、結婚・出産という権利を行使した大人に対する生活保障の意味で行われるものではありません。

最近の議論では女性の権利拡大の主張と一緒になって議論されており、内容が混同されているように感じます。

女性の社会進出や男女平等の運動が悪いとは思いませんが、この議論はあくまでも「子どものため」に行われているという点を理解することが重要です。

「子どもを産んだらエラい」のではなく、「子どもの健全な成長を守ってやることが義務」だということです。

そのために時間やお金がかかるとしても、それ自体はあくまでも「責任」であることを勘違いしている方には自覚していただく必要がありそうです。

少子高齢化で日本社会の担い手が減っているからといって、出産という自分の遺伝子を残すことへの責任をすべて他人に押し付けるというのはちょっと行き過ぎではないでしょうか。

 

ただし、最近の日本が子育てのしやすい国か、と聞かれるとまだまだ改善の余地がある、というのは事実なのでその点は考えていく必要があるとは思います。



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